大判例

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東京高等裁判所 平成12年(う)310号 判決

被告人 片山敏治

〔抄 録〕

1 以上のとおり、被害者である甲野(仮名)供述からは被告人を犯人と断定することはできず、また、被告人が犯人であることに間違いないとする阿立供述は、甲野供述と犯行状況につき看過することができない食い違いが認められるばかりか、阿立供述自体にも不自然な点がうかがわれ、阿立供述に全幅の信頼を寄せることには問題がないとはいえない。一方、被告人は一貫して犯行を否認しているところ、その弁解内容自体が直ちに不合理とは言い難いばかりか、被告人が相当の負担を忍んで否認の態度を貫き、身の潔白を強く主張している状況等に徴すると、被告人が殊更自己の刑事責任を免れるために虚偽の弁解に終始していると断定するには躊躇を感じざるを得ない。なお、所論は、本件の犯人は、被告人か阿立のいずれかに限定されるのであり、阿立が犯人であるとすれば、甲野が新宿駅で下車し、事が治まっているのに、甲野を呼び止めて被告人を捕まえるなどの行為に及ぶとは到底考えられないというが、そもそも阿立供述が大筋において信用できることを前提として初めて本件の犯人が右の二人のいずれかであるといい得るのであり、阿立証言がどこまで真実を述べているのか疑わしいということになると、犯人の範囲を右のように限定することはできず、他の第三者である可能性も否定できないというほかないのである。

2 当審における審理経過について付言しておくと、検察官は、当審において、いずれも原判決後作成された以下の証拠の取調べを請求している(括弧内は立証趣旨)。

<1>司法警察員作成の測定結果報告書(甲野が本件当時覆いていた靴の形状、ヒール部分の高さが約九センチメートルであること)、<2>司法警察員作成の身体等測定結果報告書(本件犯行当時の甲野の股下等各部位及び身長一七二センチメートルの男性の左手等の床面からの高さ)、<3>司法警察員作成の実況見分調書(本件当時の甲野、被告人及び阿立相互の位置関係、被告人の手が阿立の手に自然に触れる位置にあること等)、<4>阿立の検察官調書(阿立が被告人の手との接触を解けなかった事情、犯行を目撃した状況)、<5>検察事務官作成の捜査報告書(阿立が過去にも痴漢行為を目撃して犯人検挙に協力している事実があること)、<6>乗車率二〇〇パーセントの電車内の状況に関する写真撮影報告書ほか二点

弁護人は、検察官の右の請求証拠については、刑訴法三八二条の二第一項にいう「やむを得ない事由」があるとはいえないとして強くその却下を求めた。

当裁判所が検察官のこれらの証拠調べ請求をすべて却下したのは、いずれの証拠についても、刑訴法三八二条の二第一項の要件を欠き、裁量によってその取調べをすることも適当ではないと判断したからである。すなわち、被告人は平成一〇年七月三日起訴され、原審では八回の公判期日を開いて審理が実施され、平成一二年一月七日の第九回公判期日において判決が言い渡されている。このように、起訴から判決宣告まで約一年六か月という相当の日時を費やして審理・判決に至ったものであり、前記<1>ないし<3>の新証拠により検察官が立証しようとしている被告人、甲野、阿立の相互の位置関係等については、原審の審理の当初から争点とされてきたもので、各人の身長等もその争点との関係で問題とされていたことが明らかである。とりわけ、被告人が阿立供述のとおりに甲野の臀部を触ることが可能であったか否かについては、弁護人らにおいて、甲野及び阿立が供述する位置や向きに被告人を立たせた状態で、甲野が触られたとする部位に被告人の左手が届くかどうかにつき実験を行い、その状況を撮影した前記写真撮影報告書(一)が検察官の同意もあって証拠として取り調べられており、これに対し、検察官からはこの点に関する反証は全くなされていない上、かえって、検察官は、弁護人からのこの点を立証趣旨とする検証の請求について、不必要である旨の意見を述べ、弁護人がこの請求を撤回しているという経過も存するのである。<4>の阿立が被告人と手が接触している状態を避けられなかったのかどうかも、原審における阿立の証人尋問において問題とされているのであり、阿立が納得のいく説明ができないでいた点である。<5>については、原審において、弁護人が阿立に対し、同人が関与した別の痴漢事件について立ち入った質問をすることに、検察官も反対していたのであるし、<6>の証拠により特段の新たな事実が立証されるというわけでもない。したがって、検察官の請求証拠は、すべて刑訴法三八二条の二第一項の要件を満たさないものであることが明らかである。本件が法定刑が罰金五万円以下という比較的軽微な事案であることや、前記のようなこの種事案の特質を考慮すると、検察官は第一審においてその立証に遺漏なきを期すべきであったのであり、控訴審において、その立証活動の不備を補うようなことを軽々に許容するのは相当でないと思料される。

なお、前記<1>ないし<3>の証拠の関係で、検察官が特に強調する、甲野が当時覆いていた靴のヒール部分の高さが約九センチメートルであるとの点について見ると、本件被害当時甲野がどのような靴を履いていたのかは、被害直後の状況を撮影した写真等により客観的に証明することはできず、本件の四日後に甲野らが立ち会って実施された実況見分の調書抄本(甲9号証)においても、甲野の靴のヒール部分の高さの記載はなく、また、甲野の原審供述中にもこの点は全く表れていない(右の写真撮影報告書(一)においても、甲野がどのような靴を覆いていたかは問題にされておらず、検察官も証拠とすることに同意していることは前記のとおりである。)ところであり、甲野の靴のヒール部分の高さが問題にされた形跡は全くない(仮に甲野が靴底の高い靴を履いていたのであれば、当然にこの点の記載が捜査報告書等にあってしかるべきであるのに、原審記録上そのような記載のある証拠は存しない。)。原審の右のような証拠調べ経過及び証拠関係のほか、そもそも、<1>ないし<3>の証拠が関係する論点についての当裁判所の判断は、前記四3のとおりであって、右各証拠を取り調べるまでもなく、この点の所論は結論において正当であるというのであるから、これらの証拠を裁量によって取り調べる必要性も乏しいということになる。

当裁判所は、以上のような点を総合考慮した上、当審における検察官の請求証拠は、いずれについても、職権でこれらを取り調べるのも相当ではないと判断して、その請求を却下したものである。

(安廣文夫 松尾昭一 金谷暁)

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